稀音家祐介インタビューD

この信念で演奏を貫きたい…演奏のポリシー

ピアニッシモ命

前回、祐介先生の目指す理想の演奏について伺いましたが、今回は演奏のポリシーという観点からお伺いしたいのですが…。

50歳を過ぎてみて、最近思うことは、世間の誰にどう非難されようとも、絶対自分の信念に従った演奏以外はしない、っていう…他人がどう言おうとかまわない、自分のスタイルを貫こう、と。それで評価されなくてもかまわんという気になってきました。子供の時分から蓄積されて、最近、この56年かな、俺は絶対この信念で演奏を貫くぞと思ったのが、13くらいあるポリシーです。

たとえば…

たとえば、ピアニッシモ命っていうのがあって、最弱音が美しい、と。
 強い音というのは、たとえばダイヤモンドの塊で鋼鉄を叩き割るような強い音とかっていうのは、それはそれで魅力がありますよ。だけどそういうのって誰がやってもあまり変わりがない。AさんのフォルテッシモもBさんのフォルテッシモも他のどんな演奏家がやっても、そんなに代わり映えがしない。でも、ピアニッシモは上手い人と下手な人とではこんなに違うっていうのが僕の考えなの。

上手い人のピアニッシモはね、ピアノで言ったら、鍵盤を羽毛で撫ぜるかのごとく、こんな小さな音出せないでしょという音を出す。考えられる一番弱い音って出せないわけ。それをちゃんと自分の計画性をもってコントロールして出し切れるかというと出せない。それを出せる人はすごい。僕がいいと思う尊敬している音楽家はみんなそれが出せるし、僕がいいと思わない人はそれが出せない。そこではっきりわかる。

三味線の場合、ピアニッシモは?

三味線で言えば、撥皮に当てないで、糸に微かに触るくらいの音。考えうる最弱音を出す。だからといってボワンと広がる、そういう音はだめだよ。ダイヤモンドの光が宇宙の彼方で光るように、30億光年の遥かにでも、見える人にはかすかに見えるようなピアニッシモ。ピアニッシモ命というのが、ポリシーです。

弱い音というのと静かな音楽というのはまた違うのでしょうか。

「弱い」と「静か」は違う。大きな音で静かな音楽というのもある。ピアニッシモも、小さな音だと思ってエネルギーがないかというとそうじゃない。それこそ宇宙の話になるとブラックホールじゃないけど、楊枝の先くらいのところに太陽の重さの10倍くらいの重さが入っているとかの世界。小さいということとエネルギーが低いということとは全然違う。小さいけれどエネルギーが高いというのが理想のピアニッシモですね。

フレーズはできる限り長く

それが一つ目のポリシーですね。その他には?

フレーズはできる限り長く、というのがあります。僕がお稽古のとき、よくここからここまではひと固まりね、ここで切れないようにと言うでしょ。それをできる限り長くしたいということです。

段落感をつけるのに、なるべく長いスパンの段落感にしたい。たとえば、10分の長さの音楽に小さなフレーズが25あるんじゃなくて、5フレーズのほうがいいということですよ。それは極端だけどね。極力長いフレーズがいい。

フレーズの短い音楽ほど安っぽいし、芸術性が下がるという感じがします。で、そういうのは演奏も簡単、弾きやすいしわかりやすいし。でも、レベルが低い。僕は極力長いフレーズにしたい。

具体的には…

たとえばこの間『問答入勧進帳』をやったけど、瀧流しは2フレーズくらいですよ。最初から終わりまで少しずつ少しずつ加速していって、途中で一定のスピードになったり加速をやめたり逆に減速したりせず、絶えず少しずつ加速し続ける状態、で、最後、我々の弾ける最高のスピードに達するように演奏、というのをやりましたよ。フレーズをできる限り長く、というのが、とっても僕にとっては大切なの。生きるか死ぬかくらい大切。

流れを大切にする

もっと伺いたいのですが、次のポリシーは?

流れを大切にする、ということ。音楽は流れが一番大切。流れが悪いっていうだけで音楽じゃない。

たとえば、川は山奥の小さな湧き水から始まって、それが小さな小川になり、だんだんせせらぎになり、今度は激流になり岩肌を削る滝になり、 で、だんだん川幅が太くなって、最後は河口付近で広い穏やかなゆっくりな流れの川になるでしょ。だけどその源流から海の河口まで全部つながっている、一瞬も途切れない。それをダムかなんか作っちゃって途切れるような音楽はいかん、というわけです。

いろいろな形はあるけれど、絶対、ずっと流れていて、一瞬もとどまらなくて、しかも始まったところから終わるところまで全部一つなの。それが僕の流れって言うところの定義ね。途中、たくさんの水が強烈に速いスピードで流れるとか、あるいはたくさんの水がごくゆっくり流れるとか、ほんのわずかな水がゆっくり流れるとか、いろいろな状況はあるけれど、とにかく湧き出してから海に至るまで、ひとつながり、一度も停滞しないということ。

音と音との間、音がないところでもつながっているということですか。

そうです。大概の人は全部細かく区切るんですよ。そのほうが演奏しやすい。自分がやりやすいっていうことのほうが、芸術上の理由よりも優先になっているように、僕には見えます。

今言った、流れを大切にする、フレーズはできる限り長く、ピアニッシモ命、は僕の数々あるポリシーの中でも最重要項目ですね。      (つづく)

    
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