祐介の部屋インタビューC
いい演奏って?

長唄の演奏を聴いて、皆さん今日の演奏は良かったとか良くなかったとか言いますが、一体いい演奏というのはどういう演奏なのでしょうか。今回はその辺のことをお伺いしたいのですが。

ある曲を演奏するについて、その曲の構成なり研究した成果がありますよね。たとえば、この段落の良さはこういう良さだ、と。その良さを生かすような演奏をするためには、前の段落はどうしたらよいか、後の段落はどうすべきか、そのつながり方はどうしたらよいだろうかと研究して、で、こういう感じにしようと思って、今度は自分の肉体でそれが実現出来るように訓練して、そして本番になるわけですよね。

 要は、そういうある種の計算ですよね。たとえばある段落の魅力が赤い色だとして、この赤の美しさを聴かせたいと思ったら、その前にはピンクだとかオレンジとか似た傾向はなるべく使わないようにして、ブルーだのグリーンだのを並べてからパッと赤を出して、なんてきれいな赤なんだろうって、僕だとそういう効果を狙うわけですよ。ただしその目論見が聴いている人にはバレないようにやりたいわけです。

 ところが、世の中には全然そういう効果を考えない人がいるし、そういう効果を狙うのは良くないという考え方の人もいるわけですよ。僕なんかは西洋のクラシック音楽でも日本の伝統音楽でも主に芸術音楽と言われる音楽を聴いていて、効果の上がるような演奏はすごくよくわかるし、素晴しいと思うんですよね。

効果的な演奏がすなわち良い演奏ということでしょうか。

 そう簡単には言い切れないところが難しいんです。ただ、効果を上げるという考え方をしているんじゃない演奏で、確かにいい演奏はあります、それは認めるのね。自分はこうはやらないけれど、この演奏はいい演奏だというのはあるわけです。そうすると、今自分のやっていることは本当に正しいんだろうか、と。いい音楽へのアプローチなんだろうかと、ちょっと疑問になることがあります。

でも、自分の考えには確信を持っているんですよ。100%に近い確信はあるんだけど、そうじゃなくて、違う考え方で明らかにいい演奏というのがあるから、僕とは違うアプローチをしている人のそのやり方をいいなと思う場合もあります。でも、自分ではそれは出来ないんですよ。結果としてはいい、でもそれは偶然なのかもしれない、何も考えず淡々とやったら結果としていい演奏になっちゃったのかもしれないし、あるいは僕に見えないくらい緻密な計算があったのかもしれない。僕がもっと年を経ればその辺の秘密が、あるいはわかるかもしれないですね。さらに一層の研究が必要ということです。

音楽の中で大事なのは何だと思いますか。

 基本的に、僕には「流れ」ということが音楽の中では一番大事だという信念があるんですよ。音楽というのは、川の流れのように液体のようなものが流れる、その流れ方をどうするのかっていう、量とか勢いとかスピードとかね。広い川にたっぷりの水をゆっくり流すとか、細い急流にたくさんの水を一気に流すとか、広い水路にほんのわずかの水をちょろちょろ流すとか、イメージでいつも音楽の流れを捉えていますからね。

 でも、世の中にはそうじゃない人もいる。流れなんていうものは全く無視して何か違うところに視点を置いてやっている人がいると思う。そういう音楽を聴いてもちっともいいと思わないし、それは間違っているとさえ思う。でも僕とは違う考え方だけれどこれはいい音楽だと思うことがあるのが、僕にはとっても気になるところですね。

先生にとっていいなと思う音楽の基準は?

 長唄でいえば「ノリ」ですね。しかるべきテンポの設定がちゃんと出来ているか、その変化が妥当か。





A B C 3段落の曲

A

速い

遅い

B

C

×

Aが一番速く、Bが一番遅い。Cがその中間

ノリというのは、ロックとかのノリと同じですか。

違いますね。テンポの設定のことです。たとえばベートーベンで言ったら、「運命」の出だしをタタタターンと早くやるのか、タ・タ・タ・ターンとゆっくりやるのか。その音楽のその部分には、その部分の妥当なテンポというのが絶対にありますよね。その音楽が本来持っているテンポが。一番速くてもこのくらい、一番ゆっくりでこれぐらいという幅があるわけですよ。速すぎたりゆっくり過ぎたりというのはだめ。

 たとえばABCと三段落しかない曲があったとしますよね。そうするとA段落にはA段落の妥当な速さがあるし、B段落にはB段落の、C段落にはC段落の妥当な範囲があるでしょ。ABではどうみてもBの方を遅くするべきだという判断があるとします。Aの幅はこれ位、Bの幅はこれ位。Aの一番遅いのとBの一番速いのと、本来はAの方が速くあるべきなのに逆転するというのがある。これは間違いですよね。バランスがおかしくなっちゃうから。Aのここを取るならBはこっちから下というようにしないと。そういうことが妥当に配置されている人の演奏は、聴いていて気持ちがいいですよね。


いい音楽の基準というのは、聴いていて気持ちがいいということになるのでしょうか。

それはいろいろありますよ。でもまず生理的に聴いていて気持ちが良くないと。たとえば音程が正確であるとか、リズムが正確であるとか、音色がきれいだとか強弱が心地よいとか、というのがないことにはね、話にならないけれど。それに加えてすべての設定が妥当かどうか、それからもう一つ、古い曲か新しい曲かでも違います。

たとえば「雨の四季」は昭和の曲だし、「娘道成寺」は古色蒼然たる曲でしょ。そういうのを同じ切り口でやったらまずいと思う。たとえば「娘道成寺」の鞠の合方を、ものすごく現代的な音を使ってやるとしたらね、それがコンセプトならまだいいですよ、今日は今までの古典とは違ってわざと現代的にアプローチを変えてやるんだというのならいいけれど、そういう考えもなく、「雨の四季」よりもはるかに古い曲だということも何も知らないで、面白い音だからこの音を使おうというのは違うと思うし、センス悪いなと思います。やっぱり「道成寺」をやるんだったら古風な感じの音を使うべきですしね。だけどそういう研究もしないで思いつきでやっている人が多い。どの曲がどの曲よりも古いとか新しいとか知っておくべきだと思うし、作曲家も知らないようじゃね。でも、そういうことを言うと、芸人は理屈は言わねぇとか言われちゃいそうだけど。理屈ばかり言っている奴もだめだけど、理屈一つ言えないようじゃだめなんですよね。

理屈がわかっていないといい演奏は出来ないのでしょうか。

 かどうかはわからないけれど、知っているべきですよね。知らなくてもいい演奏をする人はいるかもしれないけれど、僕が知っている名演奏家にはそういう人はいませんでしたね。少なくとも僕が尊敬している人はそうじゃない。

でも、曲の解釈はこうあるべきとかそんなことばっかりでもだめなんですよ。音楽である以上、正確なリズム、正確な音程、正しいはまりは重視しなきゃいけないし、正確なほうが良いに決まっているのね。それをそこはなんともいえない間だなんていうのは、浄観・慈恭級の名人の話。我々凡人は正確なほど良いに決まっているんですよ。正確なコントロールが出来ない人に限って、できないのをごまかしてなんとも言えない間だなんて言う。

正確さは大事なんですね。

その一方で、今度はやれ音程だ勘どころだはまりがどうのって、そういうことばかり出来て喜んでいる人がいるわけですよ。本当は悲しい曲なのに、乗りまくって弾いて俺は上手いだろうって、何か勘違いしてませんかっていうのがありますよね。

「船弁慶」なんか典型的にそうですよね。〔今日思ひたつ旅衣。帰洛を何時と定めん〕これから旅に出る、京都に戻るのは何時の頃だろうか、いや永遠に戻るまい、っていう意味でしょ。悲しい曲ですよね。それを怒鳴りまくって弾きまくってすごい迫力だった、ってそれは違うと思う。前半は特に静と義経の別れでしょ、悲しい曲のはずなんだよね。後半は亡霊が出てきて嵐になって、ってまだわかるけど。「船弁慶」を聴いていて、前半がいいなという演奏にはまずお目にかかりません。後半がいい演奏はしょっちゅうあるけれど。それは僕は本末転倒だと思う。

正確さだけでもだめなんですね。

だいたい前ジテと後ジテのあるものは、必ず前ジテが勝負なんです。たとえば「安達ヶ原」なんかは老女、実は鬼でしょ。本当は鬼なんだけど、それを隠しているっていうところが勝負のしどころで、正体ばれたら後はもう誰が演奏してもそれほどの差は出ないでしょう。「綱館」でも前半の伯母の部分が勝負ですしね。

でも、僕がそういう演奏をすると、どうしちゃったの、っていう人が多いですよね。意外に思うんでしょうね。普通はそうじゃないとか、みんなはこうやるとかって。普通どおりみんなの通り演奏するなら、演奏者の存在価値は何なのって。

祐介先生が目指される演奏とは?

演奏というのは常に新しくないと。同じ古色蒼然たる「勧進帳」をやるんでも、昔の人と同じ事をしていてもしょうがない。聴いているのは21世紀の人だから。そう言うとまた勘違いされるんだけど。じゃあ伝統はどうなるんだって。それは、伝統を踏まえるに決まっているんですって。踏まえた上で、新機軸をやらなくちゃいけない。

伝統を踏まえてて且つ新機軸っていうと、本当にほんの紙一重の接点しかない。そこを狙わないと。伝統にどっぷり浸かっていますが新機軸はまったくありません、ものすごく新機軸だけど伝統は一切無視って、そういうのはだめでしょ。僕が狙っているのは伝統を踏まえて新機軸っていう、ほんのこれっぽっちの隙間ですよね。そのピンポイントを狙いたいと思っています。

*祐介先生の目指す理想の演奏とは…まだまだ語り尽くせないということで、次回続きをたっぷりとお届けいたします。

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