稀音家祐介インタビュー @
いつの間にか三味線を始めていました
三味線を始められたのは何歳のときですか。
はっきりと覚えていないんだけど、4、5歳の頃かな。趣味で三味線を習っていた母に手を引かれてお稽古場に連れて行かれ、「坊やもやってみる?」という感じで始めたんだと思う。いつの間にか始めていて、本人の記憶はないんだよね。
初舞台は?
小学校に入る前の年が初舞台だったかな、たぶん。師事していた稀音家六節治先生の「稀杏会」の舞台で。それ以来、毎年当時の赤坂会館で舞台を踏んでいました。
その当時の雑誌の切抜きが手元にあるのですが、こう書かれています。「稀杏会-稀音家六節治主催。この会の名物伊藤祐介坊やが吉原雀を弾く、セーターでショートパンツ、膝小僧を出して『放生会』のあとのテテテンの見事さにまず第一の嘆息が起こる。音、リズム、運び、スガガキと正に天才的。左手の動きもきれいでプロ級、新合の手の合せもあぶなげなく無邪気に弾ききってこの会の人気を一人で
さらう」
すごいほめ方だね。まぁ、おだてられてその気になってプロをめざしちゃったっていうのはあるかな。昔天才、今ただの人、っていうやつだね。
当時一日どのくらい練習していました?
よく覚えていないんだよね。あまり練習した記憶はないな。
三味線は好きだったんですか。
んー、どうだろう。ただ、子供心にも、ガラス越しに映る六節治先生の右手の動きをなんともきれいだな、と感心して見ていたのはよく覚えています。あんなふうにできたらいいなと憧れてました。先生が良かったんだね。とにかく大変厳しい先生だった。音程の正確さ、リズム感の良さ、そして何よりあらゆる人と比べて天下一品の撥使い。83歳になられる今もお元気で、僕にとっては第二の母のような人です。
いつ頃プロになろうと思い始めたんですか。
小学校の高学年のとき、音楽で身を立てて行きたいと模索してましたよ。
そんなに早くから?
小学校5、6年のとき、チャイコフスキーの映画を見たか何かでクラシックが好きになり、ありとあらゆるクラシックのレコードを買いあさったりして、洋楽に興味を持ち 始めたんだよね。6年生のときにはピアノを習い始め、中学に入ってからは指揮法や和声学も学び、オーケストラの指揮者になりたいと思っていました。
その間、三味線は?
指揮者になりたいと思いつつ、三味線は続けてましたよ。
それでは、三味線のほうを選んだきっかけというのは?
中学3年生のとき、稀音家の主だった先生方に、プロとしてやっていけるかどうかを尋ねたら、全員が太鼓判を押して、両親もそれならばということで中学3年から三味線のプロとしての修行を始めました。唄も八代目稀音家三郎助先生に師事し、高校生のときは先生の鞄持ちをしながら下積み時代を送りました。